三鷹電車庫の跨線橋(1)
JR中央線三鷹駅をしばらく西に行くと、三鷹車庫があります。
電車庫なので線路が何本も並列し、南北に幅広い敷地を占めています。
当然踏切などはないのですが、知る人ぞ知る(?)跨線橋があり、人は誰でもこの広い敷地を渡ることができます。

北東より見た跨線橋 右端が登り口の階段
また、ここは中央線内を走る様々な車両を上から望めるスポットとして鉄道ファンには周知の場所と思われます。
この跨線橋登り口には、太宰治が散歩に訪れたゆかりの場所との三鷹市の案内板が建てられています。
それによるとこの鉄橋は昭和4年の竣工で、完成から約85年経っていますが、今でも現役で誰もが利用できます。

案内板:文学散歩のガイドになっている
中央線三鷹駅は昭和5年の開業なので、駅よりも1年古く、構造物として、また、太宰ゆかりの場所としても貴重な遺構と言えるでしょう。
ということでこの橋をよく見てみます。
鉄橋ですがレールを使用して作られていることがわかります。鉄道駅舎のホーム上屋や跨線橋などが引退したレールを使って作られている例は今も都内の駅で見ることができます。
中央線は高円寺から国立まで、高架線が完成しているので古い駅舎は荻窪以外ありません。
そのためレールを使った構造物を見られるのは荻窪とここだけでありましょう。
まず線路の北側、西からの姿です。

階段 上の鉄橋部分

南西から見た橋の姿 途中の部分には新しい鉄骨が付加されている
階段です。

その側面。

登り口 側面 中程
これを見てわかりますが、階段本体はコンクリートで、それを支える桁:ささら桁はレールを2本上下連結させたものです。
写真のように外側にレールの底面が向けられています。

内側にレール上部が向いているのがわかる
階段を支える柱。レールを2本束ねています。

踊り場部分 橋本体を支える柱
裏側も見てみます。
昭和4年;約85年前のコンクリートとそれを支える古レールの姿。
コンクリートに入っている縦筋は型枠板の跡でしょうか。

では、上に登っていきます。
橋の側面と内部です。

側面はほぼ正方形になるように縦枠が建ち並び、それぞれブレース(筋交い)で補強されています。
下の桟;橋桁は根太を介してコンクリートの床板を支え、上枠も所々を互いにつなぎ合わせ、全体として、羊羹の入れ物のように、四角い箱を形成しています。
これらの部材はいずれもレールによって出来ていることがわかります。
何間かおきに柱脚が上まで伸びているのも見ることができます。

柱脚は2本束ねたレールを、また2本吹き寄せてつかっている
中央北寄りの部分には新たに鉄骨が挿入されています。

この鉄骨を見るとわかりますが、現在の一般的なH型鋼で、接続部分もボルトを使用しています。
それに対して、当初のものはレールをリベット(鋲)で止める、昔の接合方法が取られています。

橋の中央部分には、時計がつけられていますが、これも比較的新しいもの。

橋上からの眺め。
いろいろの車両だけでなく、遮るものがないので、冬の晴れた日には遠く富士山まで見ることもできます。

立川、八王子方面の眺め 同左 普段見ない電車の屋根もよく見える

東京方面
太宰が訪れていた時は、もっと眺めがよかったでありましょう。
跨線橋の南端部付近です。

南端上り口全景。

この登り口もレールで作られています。

階段と橋は直角に交わっていない こちらの階段コンクリート裏は塗装されていた
この部分の階段。太宰が写っている写真はここです。

大人も子供も電車好きがやって来ます。太宰の説明板は右の自転車の横に建っています。
最後にもう一度、その太宰の姿。

電車庫なので線路が何本も並列し、南北に幅広い敷地を占めています。
当然踏切などはないのですが、知る人ぞ知る(?)跨線橋があり、人は誰でもこの広い敷地を渡ることができます。

北東より見た跨線橋 右端が登り口の階段
また、ここは中央線内を走る様々な車両を上から望めるスポットとして鉄道ファンには周知の場所と思われます。
この跨線橋登り口には、太宰治が散歩に訪れたゆかりの場所との三鷹市の案内板が建てられています。
それによるとこの鉄橋は昭和4年の竣工で、完成から約85年経っていますが、今でも現役で誰もが利用できます。

案内板:文学散歩のガイドになっている
中央線三鷹駅は昭和5年の開業なので、駅よりも1年古く、構造物として、また、太宰ゆかりの場所としても貴重な遺構と言えるでしょう。
ということでこの橋をよく見てみます。
鉄橋ですがレールを使用して作られていることがわかります。鉄道駅舎のホーム上屋や跨線橋などが引退したレールを使って作られている例は今も都内の駅で見ることができます。
中央線は高円寺から国立まで、高架線が完成しているので古い駅舎は荻窪以外ありません。
そのためレールを使った構造物を見られるのは荻窪とここだけでありましょう。
まず線路の北側、西からの姿です。


階段 上の鉄橋部分

南西から見た橋の姿 途中の部分には新しい鉄骨が付加されている
階段です。

その側面。


登り口 側面 中程
これを見てわかりますが、階段本体はコンクリートで、それを支える桁:ささら桁はレールを2本上下連結させたものです。
写真のように外側にレールの底面が向けられています。

内側にレール上部が向いているのがわかる
階段を支える柱。レールを2本束ねています。


踊り場部分 橋本体を支える柱
裏側も見てみます。
昭和4年;約85年前のコンクリートとそれを支える古レールの姿。
コンクリートに入っている縦筋は型枠板の跡でしょうか。

では、上に登っていきます。
橋の側面と内部です。


側面はほぼ正方形になるように縦枠が建ち並び、それぞれブレース(筋交い)で補強されています。
下の桟;橋桁は根太を介してコンクリートの床板を支え、上枠も所々を互いにつなぎ合わせ、全体として、羊羹の入れ物のように、四角い箱を形成しています。
これらの部材はいずれもレールによって出来ていることがわかります。
何間かおきに柱脚が上まで伸びているのも見ることができます。

柱脚は2本束ねたレールを、また2本吹き寄せてつかっている
中央北寄りの部分には新たに鉄骨が挿入されています。


この鉄骨を見るとわかりますが、現在の一般的なH型鋼で、接続部分もボルトを使用しています。
それに対して、当初のものはレールをリベット(鋲)で止める、昔の接合方法が取られています。

橋の中央部分には、時計がつけられていますが、これも比較的新しいもの。

橋上からの眺め。
いろいろの車両だけでなく、遮るものがないので、冬の晴れた日には遠く富士山まで見ることもできます。


立川、八王子方面の眺め 同左 普段見ない電車の屋根もよく見える

東京方面
太宰が訪れていた時は、もっと眺めがよかったでありましょう。
跨線橋の南端部付近です。

南端上り口全景。

この登り口もレールで作られています。


階段と橋は直角に交わっていない こちらの階段コンクリート裏は塗装されていた
この部分の階段。太宰が写っている写真はここです。

大人も子供も電車好きがやって来ます。太宰の説明板は右の自転車の横に建っています。
最後にもう一度、その太宰の姿。
